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シャーベット


こんにちは

カフェスイーツ大好き@友ミンです

今回はシャーベットについて

紹介したいと思います。

・シャーベット

シャーベットとは、

氷菓(ひょうか)(アメリカ合衆国)

あるいははじけるキャンディー

(イギリス、ニュージーランド、

オーストラリア)のことである。

オーストラリア英語と

ニュージーランド英語では

シャーバート(sherbert)と

呼ばれることがあり、

しばしばアメリカでも

シャーバートと

誤認されている。

シャーベットは、

古くは発泡性または氷で冷やした

フルーツがベースの飲料であったが、

イギリス、アメリカ、オセアニアで

異なるものを意味するように

変化していくに連れ、

その意味(及びスペルと発音)は、

三つの英語圏の国の間で

分離していった。

イギリスでは、

アメリカのシャーベットに近い氷菓を

フランス語からの借用語を用い

sorbet(ソルベ)と呼ぶが、

発音はむしろ英語風になるため

「ソーベイ」に近い。

シャーベット及び

ソルベはどちらも、

果物などから作った

シロップを水で薄め、

砕いた氷を

入れて冷やした飲料を

意味するアラビア語

: شربات‎(「シャルバート」

アラビア語で飲み物、ジュースを表す)

または、

トルコ語: şerbat

(「シェルバット」)

に由来している。

「シャルバット」の

語源はアラビア語: شرب‎

(シャリバ 「飲む」)である。

9世紀にシチリアを征服した

アラブ人が持ち込んだ

シャルバートが

氷菓グラニタの原型に

なったのではないかと

考えられているが、

古代ギリシアと

古代ローマにはすでに、

高山から採集した雪で

ワインを冷やす習慣があった。

一方、東アジアにも古くから

氷菓を楽しむ習慣があり、

『東方見聞録』に

氷菓が登場することから、

マルコ・ポーロが

中国からソルベに

似た氷菓を持ち帰ったとも

いわれている。

アラビア文化圏の

「シャルバート」が

シルクロードを経て、

中国にもたらされたという

元の記録がある。

大元帝国を建国した

クビライ汗(1215~1294年)は、

かつて父の病を癒した

イスラムの妙薬を求め、

それがサマルカンドの「舎里八」で、

各種の果汁に砂糖を混ぜ、

バラの香りを付けた水、

龍涎香などで風味付けし雪や氷で

冷やしたものだった。

クビライは「舎里八」の

あまりのおいしさに

驚嘆したと伝えられ、

調合した医師サルギスを

仕官させ厚遇したと言う。

「舎里八」は

「シャルバート」の漢字訳。

1533年、フィレンツェの

カテリーナ・デ・メディチが

オルレアン公

アンリ・ド・ヴァロワのもとに

輿入れした時、

同行したイタリアの料理人の中に

シチリア人の

氷菓職人がおり、

フランスの宮廷に氷菓が

伝わったといわれる。

しかしニューヨーク大学の

ローラ・ワイスは、

この話には根拠がないと述べている。

17世紀末までには

ソルベがパリの町中で

売られるようになり、

ヨーロッパ中に広がっていった。

最後まで読んでいただき

ありがとうございます。


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