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パン・デピス


こんにちは

カフェスイーツ大好き@友ミンです

今回はパン・デピスについて

紹介したいと思います。

・パン・デピス

パン・デピス

(Pain d'épices)とは、

フランスで

食べられている菓子。

エピス(Épice)は

フランス語で

香辛料を意味する単語で、

この菓子の名前は

「香辛料を使ったパン」

という言葉に由来する。

10世紀頃の中国の宋で

兵士の保存食とされていた

「ミ・コン(ミー・キン)」が

パン・デピスの

起源と考えられている。

ミ・コンは

モンゴル、中東を経て、

11世紀頃に十字軍を通して

ヨーロッパに紹介され、

ハンガリー、ドイツ、オランダ、

ベルギーなど

ヨーロッパの東部で

食べられるようになった。

ほか、アルメニアの亡命司教に

よってピティヴィエに

伝えられた説も存在する。

ミ・コンは小麦粉と蜂蜜を

こね合わせたパンに

似た料理であり、

香辛料や香草は必ずしも

加えられていたわけで

はなかったが、

ヨーロッパへの

伝播の過程でそれらの

香料が加えられていった。

13世紀のフランドル地方では、

レーベンスクーヘン

(命の菓子)と

呼ばれるミ・コンに

似た菓子が食べられていた。

また、ハンガリーへは12世紀に

東ローマ帝国から伝えられたと

考えられている。

中世においては

財産に余裕があり、

材料の穀物と

蜂蜜を自前の土地で

賄うことができる修道院が

パン・デピス製造の

中心となった。

中にブルーベリーのジャムが

入った小型のパン・デピスは

「若い(小さな)修道女」

を意味する

「ノネット(nonnette)」の語で

呼ばれるが、

これは修道院で

作られていることに

由来するためだと

考えられている。

修道院のパン・デピスは

市での商品、

巡礼者への贈物となり、型には

それぞれの修道院ごとの

特徴が表れていた。

パン・デピスの

製造法は世俗に

伝わると神話、

日常生活の場面、

シンボルをモチーフにした

焼型が発明され、

15世紀にスイスのベルンの

職人によってパン・デピスの上に

糖衣で文字を書き、

版画を貼り付けて

愛のメッセージを装飾する

レケルリが考案された。

18世紀末には、

薄く延ばした生地を

人や動物をかたどった

押し型でくり抜き、

焼き上げるタイプの

パン・デピスが現れた。

1827年にパリの

動物園でキリンが

公開された時には、

キリンをかたどった

パン・デピスが流行した。

11世紀以来、

パリではパン・デピスの

市が開かれ、

修道士によって動物の形の

パン・デピスが売られていた。

やがてパン・デピスは

フランス各地で

作られるようになり、

アルザス地方、ブルゴーニュの

ディジョンのものが

有名になった。

ブルゴーニュには

14世紀に伝わり、

フランドル遠征を行った

ブルゴーニュ公フィリップ2世、

もしくは

フランドルからフィリップ

2世の元に嫁いだマルグリット

3世によってもたら

されたと言われている。

パン・デピスの製造が盛んな

シャンパーニュのランスには

職人のギルド

(同業者組合)が設立され、

1596年にギルドは

フランス王アンリ

4世によって公認される。

ランスのギルドは

パン・デピスの

製造権の独占を主張し、

フランス革命まで

主要な地位を占めていた。

後にブルゴーニュの

ディジョンのパン・デピスが多く

製造されるようになり、

ディジョンのパン・デピスは

ランスのそれに取って代わった。

アルザスのパン・デピスは

クッキー風の菓子で、

ドイツの老巡礼者がアルザスの

ヴイレ村に伝えたものが

始まりだとされている。

パン・デピスは12月6日の聖

ニコラウスの日に配られ、

一般的にモミノキの

蜂蜜が使われる。

最後まで読んでいただき

ありがとうございます。


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